談山能とは

 談山能は、奈良・多武峰談山神社(旧・妙楽寺)での能楽奉納を通して現代における能楽をいま一度見つめ直すプロジェクトであり、2011年の「奉納 翁」にはじまり、翌年からの「談山能」5カ年計画を経て、計6回の能楽奉納が行われました。

 多武峰の位置する奈良県桜井市は、『万葉集』巻頭歌の詠まれた地、相撲・芸能発祥の地として知られていますが、多武峰もまた、能楽にとって原点と言うべき土地でありました。能楽を大成した観阿弥・世阿弥たちが活躍した室町時代、大和猿楽四座(現在も存続する観世・宝生・金春・金剛の4流の祖)は、標高およそ500mの山深い豊富な自然に囲まれた多武峰において、毎年必ず能楽の奉納を行う義務がありました。そこでは、「具足能」と呼ばれる実馬甲冑を用いた特殊な演能や、各座が新作能を披露して競い合うことが定式化していたと言われています。もし彼らが多武峰の参勤を怠ったならば、座から追放されるというほどの厳しい規則があったことからも、当時の猿楽師たちにとって、多武峰での参勤にいかに重要な意味合いがあったことがうかがえます。

 

談山神社


 

 ところが、多武峰の参勤は、16世紀の半ば頃より廃絶されてしまったと言われています。さらに、中世以来、神仏習合の寺社であった多武峰が、明治の廃仏毀釈により、妙楽寺が廃され「談山神社」と改称されたことも相まって、多武峰と能楽の所縁はますます忘れ去られることとなりました。今日にいたるまで興福寺の修二会、春日若宮祭での能楽奉納はなお継承されていますが、これともう一つ多武峰の参勤が、大和猿楽にとっての三大義務であったことは、いまやほとんど知られていない事実となっています。

 しかしながら、梅原猛氏が、談山神社長岡千尋宮司案内のもと、神社に所蔵されていた翁面・摩多羅神面と対面されたことを皮切りに、多武峰と能楽の結びつきを復興させるべく、2011年、長年待ち望まれていた談山神社権殿(旧・常行堂)の改修完成に伴い、観世流26世宗家・観世清和師による摩多羅神面を用いた能楽《翁》の奉納が実現しました。

 

「奉納 翁」(2011)翁:観世清和


 

 摩多羅神面とは、通常よりも大ぶりな特異な翁面であり、「摩多羅神」とは、《翁》の成立にとって非常に縁深い、謎に包まれた秘神です。また、奉納が行われた権殿(旧・常行堂)には「後戸」と呼ばれる空間があり、かつて「摩多羅神面」はそこに祀られ、法会の際には、その面の前で僧侶たちによって様々な芸能が奉納されたと言われています。そこは、「能にして能にあらず」と言われる、「天下泰平、国土安穏」を祈り、「五穀豊穣」を寿ぐ、能楽にとっての最重要曲《翁》が初めて確立された場であるかもしれないのです。そこで実現した観世流宗家による《翁》の奉納は、まさに歴史的と言える出来事でした。

 

摩多羅神面


 

 以後、談山神社での能楽奉納を継続すべく、新たに多武峰談山能実行委員会を立ち上げ、2012年より5カ年計画の「談山能」が始動しました。そこでは、毎年、錚々たる面々の能楽師が全国から集結し、観世清和師監修による摩多羅神面を用いた《翁》奉納のほか、神社蔵の能面を用いた能楽奉納が行われました。2015年には、宝生流20世宗家・宝生和英師の参加も叶い、2016年の最終公演では、多武峰での上演形式と言われる《翁 法会之式》に合わせて、神社蔵の「黒式尉」の面を用いた《三番叟》の奉納が実現しました。最終公演の模様は、NHK教育テレヴィジョン番組「古典芸能への招待」で放送されました。

 また、談山能では、2度のシンポジウムを行い、能楽における多武峰の意義、さらに、広く日本文化における能楽、「翁」という存在の意義について活発なる議論が交わされました。そして、そのなかで、観世座、宝生座の拠点であった結崎、外山などの能楽の所縁の地がすべて寺川という川に沿って存在し、しかもその濫觴が多武峰にあることが再発見され、以後、単に能楽のみならず、広く大和の歴史を読み直す「寺川文化論」なる新しい知見が開かれることとなりました。

 一方、世阿弥生誕650年・観阿弥生誕680年という記念の年である2013年には、談山能の海を越えた出張公演として、北フランス、ブリュイエール=シュル=フェール村の古城において、神社蔵の能面を用いた能楽奉納が実現しました。フェール村は、早くから《翁》をはじめ能楽の本質を見抜き、「演劇、それは何事かの到来、能、それは何者かの到来」という言葉を残したフランスの劇作家・外交官ポール・クローデルの故郷として知られています。また、2015年5月には国立能楽堂の企画公演においても、談山神社の能面を用いた「談山能」公演が行われました。

 

フェール城桜協会能(2013) 能《羽衣》シテ:観世清和


 

 本ホームページで公開されるのは、このような2011年から2016年までの談山神社での能楽奉納の記録です。6年間に及ぶあまりに実りの多いプロジェクトは、株式会社岡三証券グループの会長であられた加藤精一氏より快くご協賛頂くことにより実現いたしました。残念ながら、会長は平成28年1月19日に87歳にて永眠されました。ここに長年のご後援を感謝するとともに、ご冥福をお祈りいたします。

 本記録がより多くの人々にご覧いただき、いま一度、能楽の原点、芸能の原点を見つめ直す機会となることを願ってやみません。


談山能伝承会 名簿

名誉会長  梅原 猛

会  長  千田 稔

委  員  観世清和 梅若玄祥 観世銕之丞 

      大槻文蔵(幹事) 片山九郎右衛門 観世喜正

      天野文雄 松岡心平 宮本圭造 長岡千尋 石原昌一 

制作協力  西尾智子 佐野純子 濱崎加奈子 延原真紀子 原瑠璃彦

総  務  大倉源次郎